[わが身は天より降らず、地よりも涌かず、全体、父母の血肉を分けたる身なり]
このご文章は鎌倉時代、日蓮大聖人がご信者さんに宛てたお手紙の一節です。私たちは自らのいのちの存在を意識し、改めて見つめ直したとき、多くの方はまずご両親の姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。
父母がいたから今の自分がいる。そして同じように、父は祖父祖母がいたからこの世に生まれ、母も祖父祖母がいたからこの世に生まれてきています。この様に、自分のいのちを遡っていくと、父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人と増えていき、各々はご先祖さまという大きないのちに繋がっていきます。もしご先祖さまがいなければ父母はなく、父母がいなければ今の自分もありません。
このように考えますと、ご先祖さまとは我がいのちのふるさとであり、今有る自分こそご先祖さまの生きた姿とも捉えることができます。今の自分を花や葉に例えるならば、「根」であるご先祖さまに対して、ご供養という報恩感謝のお水や肥料を手向けることにより、根からは花や葉である自分に対して、神仏、ご先祖さまから養分という形での功徳が戻ってきます。
供養により、父母をはじめとするご先祖さまが救われるとき、それはそのまま私たち自身も救われ、私たちが救われるときには、父母、ご先祖さまも救われます。「先立たれた者」そして「今を生きる者」が共に安らかに過ごせるための振る舞い(施し)こそが、「ご供養」「ご回向」であり、大きな功徳、幸せへと繋がっていくのです。